大乗寺 円山派デジタルミュージアム
Daijyoji Temple Digital Museum of the Maruyama School
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第2話. 尾張屋勘兵衛とレンズ

 応挙は15歳で京都に奉公に出ている。江戸時代は政治の中心は江戸に移っているが、天皇家や有力寺院は京都を拠点として歴史を重ね、市民の生活に根ざした工芸や芸術など、時代を動かす力はまだまだ京都が中心であった。
 応挙はいくつかの奉公先を移ったようであるが、尾張屋という書画骨董や人形、玩具類を扱う店に入ったことは応挙がその後の画家として成功するうえでの基点となったようである。尾張屋は当時まだ珍しかったガラスのレンズを使った望遠鏡やのぞき眼鏡を扱っており、これらはビードロ道具ともいわれ、なかでも輸入されたのぞき眼鏡はレンズを通して見ると絵の遠近感が強調されて立体的に見えるのが珍しく流行していた。これらは眼鏡絵あるいは浮絵(うきえ)と呼ばれ使用する絵が輸入品だけでは足りず尾張屋でも描いていたようで、応挙にも描いてみろということになったのだろう。尾張屋の主人中島勘兵衛は応挙の絵の才能を見抜き、狩野派の画家石田幽汀に絵を習わせている。応挙はこの奉公先で三十三間堂など京の名所や祭りの情景など眼鏡絵を盛んに描いている。当時ののぞき眼鏡は現存しているものや、浮世絵に描かれたものなどから考えると、大小さまざまで、レンズも単眼のもの双眼のものがあり、望遠鏡の接眼レンズのように眼を近づけて見るものから、天眼鏡のように大口径レンズを通して見るタイプのものなどがある。立てた絵を直線的に見るものや、平面に置かれた絵を45度に設置された鏡に反射させて見るものなどその構造も様々であるが、レンズはいずれも凸レンズが使われている。
 のぞき眼鏡に関連して思い出すことがある。題名は忘れたが探偵小説の話で、主人公である私立探偵が人を捜してほしいと依頼を受ける。捜す対象の人物には会ったことがない。そこで私立探偵は依頼人から渡された対象者の写真を引き伸ばし、人物の部分を切り抜く。それを部屋の隅に吊るした黒い布の上に貼り付け、それを部屋の反対側から双眼鏡で覗くのである。そうすると人物に立体感が生じ、まるで当人に出会ったような感覚を体得する。こうして会ったことのない人物への感覚を研ぎ澄まして、効率よく捜し当てるというのである。
 筆者は興味から同様のことを試みた。使用したのはニコンの双眼鏡、倍率7×、レンズ口径32mmの双眼鏡である。あまりに倍率が大きいと焦点の合う最短距離位置が遠くなり、部屋の中では使いづらくなるようだ。使用した双眼鏡はこの使用条件にぴったりであったのかもしれない。しばらく眺めているとフッと視覚が入れ替わるような感覚にとらわれたのち、平面写真が立体感を帯びて見えてくる。まわりの背景は後退し、人物のみが浮かび上がって見える。人の息使いまでもが伝わってくるようである。元の写真の質にもよるだろうが、条件が整うとこれはなかなかのものであると納得するに十分な体験であった。双眼鏡の遠くのものを近くに見るという効用に加えて、より立体的に見えるというもうひとつの効用を確認したのである。
 このように平面写真や絵をレンズ越しで見ると、奥行きや立体感のある視覚体験ができるのである。なぜ立体感を伴なって見えるかの論理的な説明は専門家のご教示を待つところであるが、実体験としてじつに驚きを伴なった経験であり、レンズが日常的なものでなかった江戸時代の人達にはより大きな驚きであったにちがいないと納得した次第である。

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応挙のお話

第1話. 穴太村に生れる
第2話. 尾張屋勘兵衛とレンズ
第3話. 応挙と博物学
第4話. 応挙のアトリエ制作と現場空間へのこだわり
第5話. 応挙と大乗寺
第6話. 同じ絵を二度描いた応挙
第7話. 応挙没

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