門下ニ遊フ、徒千ヲ以テ数フ貴族ニハ 圓満院宮ヲ始 妙法院之法親王 本願寺門前主之同簾中千代宮 御方等ナリ、其貴重セラル事知ル可シ 画工ニハ駒井源埼、長澤芦雪、山本守禮 等各名ヲ一次ニ駆ス、惜哉壮強ニシテ三子 共ニ泉下ニ帰ス、然モ尚其侘ノ弟子 丹青ノ名ヲ四方ニ擅ニスル者居多 妻木氏三男三女ヲ生ム、長子 應瑞字儀風、次女夭、次男夭、次女 柳橋居、次ニ適リ、三男應受字直一 外祖ノ家ヲ嗣キ画ヲ業トシテ木下氏 冒ス、妻没シテ後妾ヲ買フ、子ナシ 先生性幽静特ニ梅香ヲ愛ス 春初毎ニ伏水梅渓ヲ探リ賞観 日ヲ移ス、寛政五年頃ノヨリ老痾 ニカゝツテ経年出行スルコト能ワス眼目 明ナラズシテ揮毫心ニ任セズ、尚且駕ヲ 命メ伏水ニ至リ一春モ探ラサルコトナシ 寛政七年乙卯秋七月十七日疾ヲ 以テ家ニ終フ、享年六十三歳、四条 大宮西悟真寺ニ葬ル、墓誌ニ源 應舉墓ノ四字 妙法院大王染筆ヲ賜ヘリ
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