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梅花遊禽図 源琦筆について この部屋を描いた源琦は応挙が内弟子とした唯一の人で、生涯応挙を支え続けたと伝えられています。特に晩年眼を悪くした応挙に代わって色の調合などを源琦が手伝っており、源琦の支えなくしては晩年の応挙の制作は難しかったであろうと考えられています。 源琦は性格も応挙に似ていたのか多くの門下生の絵が情緒的に傾く中で、彼の描く障壁画はどこか自律的で端正な仕上がりを見せており、精神的には最も応挙に近いものを受け継いでいるように思えます。 客殿二階の部屋にL字状の2面に描かれ、向って左側は襖4枚、右面は壁面(襖と同様の仕様で表装されたパネル状表具)です。大胆にアーチ型の梅の木が配置され、その下の水面で遊ぶ水鳥を描いています。襖の余白地は薄く色が塗られていたのかもしれないのですが、そのまま水面と空につながった空間として広がり、直角に接する2面の前に座ると広大な自然の中に身を置いた感覚に陥ります。ここでも絵画による仮想空間の試みがなされているのでしょう。 ◆名塩の泥和紙 白い襖絵の余白を絵画的空間ととらえるのは、日本の絵の特徴ですが、この時代の円山派の障壁画の余白は従来の観念的な余白空間から、実空間と交じり合うようなより現実的な空間として扱われるようになります。大乗寺の障壁画に使われている白い襖紙は兵庫県の生瀬(なまぜ)で生産される「名塩(なじお)紙」が使われています。(手漉き和紙職人で人間国宝の谷野武信氏のお話によりますと、「名塩打雲」が貼られているのを確認されているそうです。)名塩紙は泥を混入させて漉きあげる和紙で、混入させた泥で独特の色合に仕上がります。大乗寺の障壁画の余白を使った独特の空間表現には名塩紙が大きな役割をもっていたといえます。 名塩和紙は現在二条城、桂離宮、西本願寺の修復、沼津の御用邸にも使われています。現在名塩紙を生産できる人は2名しか残っておらず、その技術の継承が危ぶまれています。 | ||
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