大乗寺 円山派デジタルミュージアム
Daijyoji Temple Digital Museum of the Maruyama School
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障壁画「松に孔雀図」 円山応挙筆 寛政7年[1795年]4月について 
 大乗寺の中で最も広い間取りの部屋がこの松に孔雀の部屋です。部屋の四方のうち一方向は前庭に向かって開かれ、残りの3方向に合計16枚の襖が収まっており、それらの襖に連続した絵柄で松や孔雀がほぼ原寸大で描かれています。襖絵に対して開かれた方向にある前庭には枝ぶりも豊かな楠の大木など自然木があり、襖絵と現実の自然が一体感を持つように考えられています。
 襖絵は金箔地に墨の濃淡だけで描いていますが、じっと見ていると松の木の幹は茶色っぽく、葉は緑がかって見えてくるのは不思議です(図1)。遠目には細かくていねいに描いているように見えますが、近くで見ると驚くほど粗いタッチで描かれた部分もあります(図2)。
 応挙は晩年目が不自由になったと伝えられており、最後の力を振り絞って筆をふるい、最盛期の写実的な絵とは一味違う技法でこの松に孔雀を描いたように思えるのです。応挙はこの襖絵の完成後数ヶ月でこの世を去りますが、制作中自らの寿命を覚悟し、観音菩薩の前に位置する部屋の襖に、阿弥陀如来の乗り物である孔雀をどのような思いで描いたのでしょうか。

◆開けても閉めてもつながる構図
 仏間の襖は開閉する機会が多く、開けた時、閉めた時どちらの場合でも松の枝ぶりがつながるようを構図を考え描かれていいます。応挙の絵にはこのような工夫を潜ませているものが多くあるのですが、その「しかけ」や「トリック」的な面白さだけが前面に出ることなく、高い芸術性の中にほんの少し、さりげなく用意しているところに応挙の人柄を感じます。

◆焼けてしまった絵
 松に孔雀の絵がほぼ九分どおり出来上がっていた時、京都を焼き尽くしたといわれる天明の大火は応挙のアトリエであった大雲院にも及び、松に孔雀の絵は焼失してしまいました。したがって現在大乗寺にある松に孔雀の襖絵は応挙がもう一度描いたものです。

◆金箔張り襖について
 皆様には拝観時間の都合もありお見せすることができませんが、襖絵の金箔地は夕暮れ時、時間の経過とともに畳の色と一体化し無限の奥行きをもった空間に見えてきます。そういう状況で襖絵に囲まれて座り、眺めていると自己と宇宙の一体感を感じてきます。現在のような照明がなかった時代、夜は行燈の光の下で眺めたことを考えると、より具体的にイメージが湧いてくるのです。金箔張りの障壁画は豪華絢爛とのみ思われがちですが、ここ大乗寺では静的で神秘的なもうひとつの側面を体験できるようにと、応挙は考えたのではないでしょうか。

小壁 遊亀図 木下応受筆について
 「孔雀の間」の北側長押上に貼りつけ小壁があり、木下応受が亀の絵を描いています。画題の亀は大乗寺の山号「亀居山」に因んでのものといわれています。

欄間 透かし彫りについて
◆「孔雀の間」と「仏間」の間 
 持仏の十一面観音がある仏間にふさわしく香雲(香を焚いた煙)をモチーフにしています。比較的厚みのある板に立体感をもたせて彫り込んでおり、仏間の威厳と品格をより深遠なものにしています。

◆「孔雀の間」と「芭蕉の間」の間
 波に戯れる獅子というめずらしい取り合わせの絵柄です。下絵は応挙が描いたと伝えられており、波の絵柄は天の橋立を連想させます。獅子を台座とする仏様は文殊菩薩であり、天の橋立近くに文殊という地名があって何か因みを想像させます。


前庭より孔雀の間を見る
前庭より孔雀の間を見る

図1
図1

図2
図2

仏間前
仏間前

落款
落款


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